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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(オ)513号 判決 1989年12月07日

上告人

相古晃次

上告人

栗原光之

上告人

塩谷一利

上告人

大野良男

上告人

長塩征生

上告人

相川辰榮

上告人

磯貝啓吉

右七名訴訟代理人弁護士

小池貞夫

清水洋二

鴨田哲郎

荻原富保

恵崎和則

被上告人

日産自動車株式会社

右代表者代表取締役

久米豊

右当事者間の東京高等裁判所昭和六一年(ネ)第九六五号、第二六七九号労働契約上の地位確認請求控訴、同附帯控訴事件について、同裁判所が昭和六二年一二月二四日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人小池貞夫、同清水洋二、同鴨田哲郎、同荻原富保、同恵崎和則の上告理由第一点及び第二点について

上告人らと富士精密工業株式会社若しくはプリンス自動車工業株式会社又は被上告人との間において、上告人らを機械工以外の職種には一切就かせないという趣旨の職種限定の合意が明示又は黙示に成立したものとまでは認めることができず、上告人らについても、業務運営上必要がある場合には、その必要に応じ、個別的同意なしに職種の変更等を命令する権限が被上告人に留保されていたとみるべきであるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立ち若しくは原審の認定しない事実に基づいて原判決を論難するものであって、採用することができない。

同第三点について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人が本件異動を行うに当たり、対象者全員についてそれぞれの経験、経歴、技能等を各別にしんしゃくすることなく全員を一斉に村山工場の新型車生産部門へ配置替えすることとしたのは、労働力配置の効率化及び企業運営の円滑化等の見地からやむを得ない措置として容認しうるとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第四点及び第五点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでその不当をいうか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

同第六点について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人らに対する本件各配転命令が被上告人の配転命令権の濫用に当たるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

上告理由

第一点 原判決には、本件配転における上告人らの同意の要否につき理由齟齬もしくは理由不備の違法ならびに事実認定における採証法則違反・経験則違反があり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

一 上告人らの雇用契約違反の主張について原判決は、上告人らが、披上告人会社に吸収合併される以前の富士精密又はプリンス自工に機械工として採用され、機械職場に配置されたのち、本件配転までの間約二〇年間から三〇年間もの長きにわたっていずれも機械工として継続して就労してきたことは一審判決と同様に認めた。

ところが、右事実を前提にして一審判決は「以上の事実を綜合すると、原告(上告人)らが被告(被上告人)に吸収合併される以前の富士精密又はプリンス自工と締結し被告(被上告人)に承継された雇用契約において、機械工をその職種として特定したものであったと認めることができる。」として機械工としての雇用契約が成立していたことを認めたにもかかわらず、原判決は、逆に「右事実のみから直ちに、被控訴人(上告人)らと富士精密若しくはプリンス自工又は控訴人(被上告人)との間において、被控訴人(上告人)らを機械工以外の職種には一切就かせないという趣旨の職種限定の合意が明示又は黙示に成立したものとまでは認めることができない。」と判示した。

そして、原判決は、本件配転当時、上告人らと被上告人との間で機械工としての雇用契約が成立していなかったことの裏付けとして、富士精密の就業規則に、従業員の「転任・職場の変更」の規定、被上告人会社のそれに「転勤・転属」の規定があったこと、「本件配転前にも機械工を含めて職種間の異動が行われた例があること」「我が国の経済の伸展及び産業構造の変化等に伴い、多くの分野で職種変更を含めた配転を必要とする機会が増加し、配転の対象及び範囲等も拡張するのが時代の一般的趨勢であること」などがその補強理由であると判示した。

しかしながら、原判決の右のような判示は、上告人ら(いずれも中学卒業)が富士精密もしくはプリンス自工に入社した昭和二〇年代から三〇年代における自動車産業における熟練の機械工がおかれていた実態(いわゆるプロの職人として定年まで勤務する)に反するばかりでなく、以下に述べるような機械工職の有する特殊性をも全く無視したものであって、経験則に反するものというべきである。

すなわち、機械工は、金属工作機械そのものに対する知識、刃物や切削する工作物の材質など切削に関する知識・技能、測定工具に対する知識・技能等の特殊専門的な知識・技能を要求され、しかも熟練度が労務遂行上重要な意味をもつ(当然、昇格・昇給に反映される)職種であるから、アナウンサー・電話交換手・看護婦・レントゲン技師・臨床検査技師等と同様の専門職ということができる(臨床検査技師について職種の特定を認めた大成会福岡記念病院事件・福岡地決昭和五八年二月二四日労働判例四〇四号参照)のであるから、上告人らのように、機械工として被上告人会社の前身会社に入社し、長年機械工として継続就労してきたような状況のもとでは、上告人らと被上告人との間で、職種が機械工として特定された雇用契約が成立していたと判断する一審判決の考え方こそ経験則に合致しているのである。

それにもかかわらず、原判決は、何らの合理的な理由も附さずに(補強理由が理由となりえないことは後述)右職種特定の雇用契約の成立を否定したのであるから、右のような判示は、事実認定における経験則に違反するとともに理由不備の違法があるものというべきである。

二 原判決は前記のように、本件において職種特定契約が成立していない補強理由として就業規則の規定を根拠とするが、富士精密の就業規則四二条にある「転任又は職場の変更」や被上告人会社の旧就業規則五三条の「転勤、転属」の中には、本件のような「職種変更」が文言としても、当時の社会常識としても入っていなかったことは一審における坂ノ下証言を引くまでもなく明らかであるにもかかわらず原判決は、何らの合理的理由も附さずにこれを排斥したものであるから、採証法則に明らかに反するものというべきである。

しかも、原判決には、後述するように、職種特定契約が存する場合には、かりに、被上告人会社の就業規則のように、「職種変更」を命じうる規定が後の改正によって加入(不利益変更)されたような場合には、それが当然には上告人らに適用されるものではないと解するのが正当であるにもかかわらず、何らの理由を附することなく、現就業規則四八条の規定を根拠にして上告人らの職種変更をなす権限が被上告人会社に留保されていたとするものであるから、これまた理由不備の違法があるものというべきである。

三 また、原判決は、「本件配転前にも機械工を含めて職種間の異動が行われた例」があると判示するが、原判決がその根拠とする一審における今井証言は具体的根拠もなしに「職種間の異動は結構あったはずでございます」「頻繁にはございません」(第一三回27丁表)「そうたくさんケースがあったということではございません」「実態としてみれば比較的同じ職種を続ける方が多いということは言えます」(同28丁裏)「(『職種変更については不正確だったということですね』という質問に対し)『はいそうです』」(同30丁)等の証言をしているにすぎないものであるから、右今井証言は、被上告人会社とその吸収前の会社においては異職種の配転がなされることが通例であったとする根拠などには到底なりえないのである。

したがって、右を根拠として、職種変更の権限が被上告人会社に留保されていたとするのは採証法則に反し、理由不備の違法があるものというべきである。

四 更に、原判決は、前記のように「配転の対象及び範囲等も拡張するのが時代の一般的趨勢であること」をも職種変更の権限が被上告人会社に留保されていたとする根拠として掲げているが、この点についてはこれを裏付ける証拠が存しないにもかかわらず右のように判示したものであるから、採証法則ならびに経験則に違背するものというべきである。

もっとも、原判決は、右のような判断は公知の事実に基づくものであるから問題がないと考えたものと思われるが、不況業種である鉄鋼業・造船業等にあっては雇用調整のための異職種配転等が昭和六〇年代に入ってからなされていることは確かに公知の事実であるといいえても、特定不況業種(その旨の主張、認定はない)に指定されていないことが公知の事実である自動車製造業等にあっては異職種配転が一般的に行われているとの証拠は全くないのであるから、ア・プリオリに前記のような判断をなすことは許されないのである。

したがって、原判決が証拠に基づかずに独断によって、右のような事実を認定した点について、採証法則・経験則違背の批判は免れないのである。

五 原判決は、以上のような採証法則上も経験則上も到底認め難い「事実」を前提にして、「被控訴人(上告人)らについても業務運営上必要がある場合には、その必要に応じ、個別同意なしに職種の変更等を命令する権限が控訴人(被上告人)に留保されていたとみるのが、雇用契約における当事者の合理的意思に沿うものというべきである。」と判示したものであるから、右のような原判決の判示は、前記のように専門職ともいうべき機械工として就業規則に職種変更規定が存しない時代に被上告人会社の前身会社に採用されて約二〇年間から三〇年間もの長きにわたって継続して機械工として就労してきて、定年まで就労しうると考えていたとする上告人らの意思(ちなみに本件配転時に上告人らが、労働契約上職種変更はゆるされないと考えてその旨主張していた点については一審における今井証言も認めているところである)についての一審における原告(上告人)ら本人尋問の結果と坂ノ下証言等の証拠をまったく無視して、一方的に職種変更権限の被上告人への留保を認めるものであるから、対等な両当事者の意思の合致をもって成立する「雇用契約」(労基法二条参照)における当事者の合理的意思解釈の判断を誤ったものというべきである。

したがって、右の点に関する原判決の判断は、採証法則に違反し、かつ雇用契約成立の有無についての事実認定における経験則に明白に違反し、判決に影響を与えることが明らかであるから、原判決は破棄を免れないものというべきである。

第二点 原判決は、本件配転における上告人らの同意の要否につき法令違反もしくは法令の解釈適用を誤った違法が存し、かつ判例にも違反するものであるから破棄を免れない。

一 雇用(労働)契約において、労働者が就労する場所ならびに職務の内容は、賃金、労働時間等と並ぶ重要な労働条件である。

それがゆえに、労基法一五条一項は「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」と定め、これを受けて労基法施行規則五条一項は、右の労働者に明示すべき「その他の労働条件」としてまず第一に「就労の場所及び従事すべき業務に関する事項」(一号)を定めており、労基法二条一項は、右のような労働条件を「労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」としているのである。

したがって、前述したような経過に照らすならば、上告人らが入社した当時における雇用契約の内容としては、上告人らの「従事すべき業務」が対等の立場で「機械工」として特定されていたと解することこそ右法令の趣旨にも合致するものであるから、原判決の判示する「職種限定の合意が明示又は黙示に成立したものとまでは認めることができない」とする判断は、労基法一五条一項・同施行規則五条一項一号等に違反するか右法令の解釈を誤った違法があるものというべきである。

しかも、右のように上告人らと被上告人との間で「機械工」が従事すべき業務として特定していたと解する限り、使用者である被上告人がこれを変更するのには、原則として上告人らの個別の同意を要すると解するのが契約解釈の基本であり、かつ前記労基法二条(二項も含む)の法意でもあるから、原判決の判断は、これまた、右法律に違反するかその解釈を誤った違法があるものというべきである。

二 ところで、原判決は、被上告人会社の本件当時の就業規則四八条に「業務上必要があるときは、従業員に対し、転勤、転属、出向、駐在、又は応援を命じることができる。前項に定める異動のほかに、業務上必要があるときは、従業員に対し、職種変更又は勤務地変更を命じることができる。従業員は、正当な事由がなければ第一項及び第二項の命令を拒むことができない。」との規定が存することも、被上告人会社に、上告人らに対して個別的同意なしに職種の変更を命令する権限を認める根拠として判示しているが、このような解釈は、上告人らの入社後になされた就業規則条項の不利益変更に関する秋北バス事件の最高裁(大法廷)判例(昭和四三年一二月二五日民集二二巻一三号三四五九頁)に明白に違反するものというべきである。

すなわち、本件は、上告人らが、富士精密もしくはプリンス自工に入社した当時の就業規則には、使用者に「職種変更を伴う配転」を認める規定が存しなかったにもかかわらず、その後の改正によって被上告人会社が一方的に、上告人らやその所属する全金支部の意見を聴取することなく「職種変更に伴う配転」の規定を新設したものであるから、上告人らにとっては、労働条件の不利益変更となることは明らかである。

ところが、被上告人会社は、右就業規則の不利益変更をなすについて代償措置を講ずるなどの何らの配慮もなしていないし、その合理性について何らの説明もしていないものであるから、「既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されない」と判示した前記大法延判決等に明白に違反するということができるのである。

したがって、前記就業規則の規定を上告人らにも適用ありと判断した原判決には法令の解釈を誤り、判例にも違反する違法があるものというべきである。

三 また、就業規則と労働契約等との関係について定めた労基法九二条一項は、「就業規則は、法令……に違反してはならない。」と規定しているが、前述したように、上告人らと被上告人との間の雇用(労働)契約においては、労基法一五条一項、同法二条、同施行規則五条一項一号等によって対等の立場において「従事すべき業務」が「機械工」として特定されていたと解されるのであるから、右法令(この中には、民法一条二項・三項、民法九〇条等も含まれる)の規定等に基づいて両当事者の契約内容となっていた「機械工」の職務を、使用者である被上告人が一方的に変更した就業規則の規定を根拠として、職種変更の配転命令をなしうると解することは、とりも直さず就業規則の規定によって前記法令に違反する結果の招来を容認することになるのであるから、前記労基法九二条一項に違反するか少なくとも右規定の趣旨に反するものとして、原判決のような判断は許されないものというべきである。(なお、労基法九三条は就業規則を法規範と解する説の根拠規定とされているが、この規定は「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする」片面的強行性を唱えるだけであって本件のように就業規則の規定よりも労働者にとって有利な労働条件を定める労働契約内容までも無効とするものとは解されないから、右規定は被上告人が一方的に職種変更命令をなしうる根拠規定とはなりえないものというべきである。)

したがって、雇用(労働)契約と就業規則の配転条項との関係についての法解釈としては、以下の判例(<1>・<2>)のような考えこそ正しいものというべきである。

<1> 東亜石油事件(東京地判昭和四四年六月二八日労働法律旬報七一四号)

「就業規則中に右のような一項目を設けたからといって、従業員が無制限に職務の変更を予め承諾し、会社側の一方的な職種の変更権を与えたものと解するのは相当ではなく、そこには自ら一定の限界があるものというべく、その限界は、当該労働契約締結の際の事情、従来の慣行、当該配転における新旧両職場間の差異、特に技術者においては、その過去の経歴に照らして将来にわたる技術的な能力、経歴の維持ないし発展を著しく阻害する恐れのあるような職種の転換であるかどうかを綜合的に判断して、合理的であると考える範囲において画されるべきものであり、その限度においてのみ、従業員が職務内容の一方的な変更権を使用者に与える旨同意したものと解することができるが、それ以上の著しい職務内容の変更は、もはや使用者の一方的になしうるところではなく、従業員の当該配転に対する個別的な同意があって、初めて有効になしうるにすぎない」「配転される申請人にとっては、全く異質の職種であって、その専門的技術、知識を研鑽する機会がなく、申請人の技術的能力、経歴の維持ないし発展を著しく阻害する恐れのある職種への配転までもが、事前に同意によって、会社に一任されているものと解するのは、極めて困難であって、到底賛同しえない。」

<2> 旭精機工業事件(名古屋地判昭和五〇年一一月二六日労働判例二四二号)

「面取り・バリ取り作業のごとき申請人会社との労働契約に基づき会社に給付すべき労務の範囲に属さない職種への異動は、就業規則上の配転の扱いを受けるか否かに関わりなく会社が労働者に対し行使しうる労務指揮権の範囲を超えるものであって、右職務換えによって申請人が会社に対しこれに応じる労務を給付すべき義務を負担すべきものではないことは明らかである」

四 原判決の論理展開を仔細に検討すれば、それが東亜ペイント事件の最高裁(二小)判例(昭和六一年七月一四日労働判例四七七号)に依拠していることは明らかである。

ところで、本件事案と右東亜ペイント事件の事案とが異なっている点について上告人らは、原審においてすでに主張したところであるが、原判決は、本件とは著しく異なる事案についてなされた東亜ペイント事件の最高裁判例が説示する一般論を本件に無理に適用して、本件配転を正当とする結論を導いたものであって、原判決の判示は、前記最高裁判例の趣旨に明白に違反するものというべきである。

すなわち、上告人が、原審で主張したように、東亜ペイント事件の事案と本件事案とは左記のように明白に異なっているのである。

<省略>

しかも、東亜ペイント事件の事案と本件事案との最も重要な違いは、東亜ペイント事件の場合は、勤務場所が問題となったものであって、職種―提供すべき労働の内容―は全く変更がないということである。さらに、次の点においても異なっているのである。

<1>本件においては職種変更を認める労働協約は存在しないし、その旨の就業規則も上告人らが入社して相当期間経過後に、就業規則の変更によって導入されたにすぎない。<2>被上告人会社では機械工から他職種への職種変更の事例は前述したように、原判決が認定するようには存しない。<3>上告人らはいずれも中学卒の機械工として採用されたものである。<4>本件は前述したように、雇用(労働)契約締結時に職種が機械工に特定されていたと解することができる。

したがって、前記最高裁判決を素直に読む限り、同判決は職種特定契約が、今日当然に存在するとの前提の下に、むしろ本件上告人らのように雇用(労働)契約上職種が機械工に特定されている労働者の職種変更については、当該労働者(上告人ら)の個別的同意がなければ、使用者である被上告人は配転命令を発しえないという当然の法理を判示したものと解されるのである。(なお、権利濫用論に関する右最高裁判決の解釈等については後述する。)

したがって、右最高裁判例に反する判断をなした原判決(現判決の理由付けによれば、今日職種特定契約などほとんど存在しないことになる)は破棄を免れないものというべきである。

第三点 原判決には民法一条二項の解釈を誤った違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

一 およそ契約は信義誠実の原則に従って履行されなければならないとの民法一条二項の大原則は、労働契約のような継続的権利義務関係においては、特に強く要請され、雇用期間が長期に及べば及ぶほど、その要請される度合いは強くなるものというべきである。

労働契約においては、使用者が労働者に対して権限を行使するについて要請される信義則として、安全衛生面における安全配慮義務があるが、他方、人事権の行使に伴う配慮義務があることを看過すべきでない。すなわち、使用者は労働契約の趣旨に基づいて、ないしは労働契約に基礎を置く就業規則に基づいて、その範囲内で労働者に対する人事権を有するが、その人事権は、一方的に行使することが許される場合があるとはいえ、全く恣意的に行使することが許されるわけのものではなく、労働者のために一定の配慮をすることが労働契約に伴う信義則上要請されるのである。

二 人事権行使に伴う配慮義務の内容を、本件のような職種変更を伴う配転の場合について見ると、次のとおりである。

1 労働契約上職種変更や配転について労働者本人の同意を要しない場合であっても、事前に本人の意向を聞き、本人の質問に答える等新職種・新職場の内容、職種変更・配転の必要性、変更に応じた場合の代償措置等について誠実に説明し、本人が必ずしもその職種変更を希望しない場合には、変更に応ずるよう誠意をもって説得し、あくまでも本人が応じない場合には、別途の措置によってその職種変更を回避する方法を採る等の努力をすべきである。

また、右労働者が労働組合に加入している場合には、当該労働組合に対しても右本人に対すると同様の対応と努力を払うべきであるこというまでもない。

2 変更後の新職種を決定するについては、主観的には労働者の希望を尊重すべく、又、客観的には本人の従来の経験ないし熟練を尊重するため、可能な限り現職種と類似の職種を選定すべきである。

3 新職種ないし新職場に配転した後においても、慣れない仕事に伴う苦痛・負担を軽減するために、教育・訓練、勤務持続時間・休憩時間・残業・休日休暇等の労働時間、職場環境、ノルマやラインスピード等の作業条件等の各方面において、相応の配慮をすべきである。

4 労働者の意思に反する職種の変更を敢えてする場合には、労働条件において相応の代償措置を講ずべきである。

これらの配慮義務の程度は、労働者の勤続年数、年令、現職種の経験年数、現職種の熟練度とその要否、本人の技能レベルの程度等に応じて異なり、それらが長くかつ高度であればあるほど配慮義務の程度も高度なものが要請されるというべきである。

本件は、約二〇年~三〇年の経験を有する(従って、中高年令者である)熟練機械工の事案であり、機械工が熟練の必要性とその価値ゆえにその職種変更にあたっては本人の個別的同意を要する職種であることは昭和三〇年代以降今日まで、判例・学説において何らの疑問もなく一般的に承認されてきたところである(和歌山パイル事件和歌山地判昭和三四年三月一四日(労民集一〇巻二号一二七頁)以降の一連の判決、本多淳亮「労働法と経済法の理論」四七六頁(昭和三五年)、外尾健一「労働法実務大系九」一九一頁(同四六年)、高木紘一「現代労働法講座一〇」一二五頁(同五七年)、東亜ペイント事件〔最判六一年七月一四日〕も職種特定契約の存在を当然に承認している)。

このように、機械工の熟練は厚く保護されるべき価値・利益であって、合理化の権化である日本生産性本部においてまで「新技術に適応できない、或いはしたくない人々にもそれぞれ生存権がある。また選択の自由があることが民主社会の理念であろう」(甲六〇・21頁)というのであるから、その職種転換にあたって要請される信義則上の配慮義務は他の職種に比し、極めて高度なものがあるといわねばならない。

三 右に述べた人事権行使に伴う配慮義務が本件においてどのように履行されたかをみると、原判決の認定事実によれば、上告人らは、被上告人会社(ないしはその前身の会社)において、最も長い者で昭和二八年二月から、最も短い者でも同三九年四月から本件職種変更まで(但し、本人の同意の下に、かつ会社と本人の所属する全金支部との協定に基づく臨時の応援の時期を除く。)一貫して機械工として就労してきた「機械加工の熟練工」であるが、本件配転による職種変更後の仕事は「従前従事していた機械工の仕事と全く異質の仕事」であり、これまでの「技能、経験を活かす余地がほとんどな」く、「熟練を要せず体力のみを要求される作業」か、又は「単純反復作業」であって、「作業環境が悪」く、「機械職場に比し労働条件の劣悪な職場」である。

しかも、前述のとおり、そもそも本件では、労働契約上、職種変更には労働者の同意を必要とする事案であるが、そのことを暫く措くとして、本件においては、会社は、上告人ら配転対象者に対しては、何らの誠意ある説明すら行なわず「各人の経験、経歴、技能や個人的希望等を個別的に考慮することなく、いわば機械的に」配転命令を発したというのである。そして、配転後においても、新職場における作業環境・作業条件・その他の労働条件について配慮するとか、代償措置を講ずる等の配慮は一切払っていないのである。また、全金支部との交渉経過は後記第五点の二記載のとおりである。

このような事情・背景の下に行われた被上告人による本件配転は、労働契約の一方当事者たる使用者の人事権行使に際して要請される配慮義務に著しく違反しており、本件配転命令は違法・無効のそしりを免れないものである。

このような被上告人の人事権行使を「企業経営上の判断としてあながち不合理なものといいがた(い)」などと弁護することは、使用者が人事権の行使に当たって尽すべき信義則を無視することを容認するに等しく、原判決が民法一条二項の解釈を誤ったことは明らかであり、右誤りは原判決の結論に影響を及ぼしていることもまた明白であるから、原判決は破棄を免れないというべきである。

第四点 原判決には、権利濫用の判断における業務上の必要性の認定にあたり、極めて重大な理由齟齬ないし理由不備があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

一 原判決は、本件配転の業務上の必要性について、結局のところ、「マーチの要員が必要になった」と認定し、業務上の必要性を肯定している。即ち、詳論すれば、「FF化するサニー、バイオレット及びオースター並びに小型トラックの車輌製造部門を」「栃木工場に移転することにするとともに」「新型小型車マーチを製造することにし」「村山工場の第三製造部門で就労していた機械工ら約五〇〇名余りが仕事を失うことになったが、他方、同工場で新たに生産を開始することになったマーチのプレス加工、車体組立、塗装、艤装の各工程の要員として約八〇〇名の従業員が必要となった」「そこで、控訴人(被上告人会社)は第三製造部門所属の右五〇〇名余りの機械工らのうち、高齢者等を除いた残り四九五名全員を第一・第二製造部に異動させ、マーチのプレス加工、車体組立、塗装、艤装の仕事に当たらせることとし、マーチ製造要員として不足する約三〇〇名については、当時売行き不振のため仕事に余裕のあったローレル及びスカイラインの製造部門の従業員をもって充当することにした」「本件配転も右の一環として行なわれた」(原判決一六丁表~一八丁表)。

他方、原判決は、上告人らの配転後原審結審時までの業務内容については、一審の認定を引用している(原判決二〇丁裏)。これを判り易く表示すれば次のとおりである。

<省略>

(なお、長塩については車種の認定はない)

即ち、上告人らにおいて本件各配転によってマーチの仕事に当たらせられることとなった者は一人しかいないのである(マーチの生産開始は昭和五七年九月である)。

マーチ要員の創出という点で業務上の必要性を肯定しながら、基本的にマーチ要員ではない本件各配転についてどこに業務上の必要性があったというのであろうか。これほど、重大かつ、致命的な理由齟齬はない。

更に、つけ加えれば、本件「一連の異動」によっても約八〇〇名のマーチ要員に対して約三〇〇名不足するというのであるから上告人らを含む配転対象者四九五人は一人残らず、一人の例外もなくマーチ工程に配転させることになるはずであるのに、上告人らをマーチ工程に配属しなかった理由について全く説示されておらないばかりか、かえって、当時売行き不振のため仕事に余裕のあった、即ち、人が余っていたローレル・スカイライン部門になされた本件各配転の業務上の必要性についても全く理由が示されていない。

また、原判決は「全員を一斉に村山工場の新型車(マーチ)生産部門へ配置替え」したのは、「企業経営上の判断としてあながち不合理なものとはいいがたく」、「労働力配置の効率化及び企業運営の円滑化等の見地からやむをえない措置」(原判決二二丁)と判示しているが、そもそも本件各配転はマーチ工程への配転ではないのであるから前提を欠いて理由に齟齬があり、さらに、人の余っていたローレル等部門への本件各配転が「労働力配置の効率化」と言えないことは明らかであって、この点において二重の理由齟齬がある。

第五点 原判決には、権利濫用の判断における業務上の必要性の認定にあたり、採証法則違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

一 原判決は、業務上の必要性の認定の出発点として、「村山工場のスペースでは不足する」と判示する(原判決一六丁表)。

しかし、原判決がその証拠とする証人砂子昌重の証言によれば、<1>サニー関係のFF化によって一四二名の機械工の約半数(七一名)が余剰となる、<2>サニー関係のFF部品を村山工場で生産するためには、FRとFFの同時併行生産期間中に限りFF機械工場として新たに六〇〇〇坪の土地が必要である。<3>同時併行生産を要する昭和五五年一一月から同五六年一二月までの約一年間だけ(全てのFF化が完了すればFRの土地が空く)右六〇〇〇坪の土地が確保できれば、機械工の余剰人員は二二四名ではなく約七一名にとどまり、全体の移動人員も四九五名ではなく約一八〇名(三五五名の約半数)にとどまったことが明らかである。

そこで問題は土地の確保であるが、砂子証言によれば、本件当時、空地の存在、建物の未使用部分の存在、工場の二階化などによって土地を確保する方法は存在したのであり、しかも、実測によれば(甲八八)必要な土地はわずか三、三五〇坪で足りたのである(坂ノ下証言)。また、甲六七の一、六七の三各21頁によれば、有価証券報告書上も昭和五五年三月時に比し、同五七年三月には村山工場の建物面積は一一、〇〇〇坪も増加しているのである(詳細は第一審原告ら最終準備書面10~13頁)。

かかる明白な証拠を無視ないし排除して、ただ単に、しかも、あたかも恒久的に土地が不足しているかの如き認定をするのは明らかに採証法則に反し、この点が信義則違反及び権利濫用の判断にあたって判決に影響を及ぼすことは明らかである。

二 本件一連の異動が開始されたのは昭和五六年六月であり、本件配転の最初の発令(相古関係)は同年同月三〇日であるから事前の説明として意味があるのは昭和五六年六月末までの経過であり、他方、被上告人が本件計画を決定したのは前年五五年四月である(原判決一五丁表)が、全金支部に初めて説明したのは五六年三月二七日である(なお、竜田証言によれば、一週間前の三月二〇日に日産労組の了解は得ている)。

そして、原判決は、一連の異動に関し、「全金支部に対し事前に基本的内容を示し、何回かの説明や団体交渉を行った」と判示する(原判決二〇丁表)。

しかし、原判決がその証拠とする証人今井栄久、同岡崎宏徳並びに同竜田健の各証言及び乙第三号証並びに乙五号証によっても、昭和五六年三月二七日から同年六月末までの間において、全金支部に対し、FF化に直接原因する余剰人員数、不足するという土地の広さ、職種転換の対象人員数、解雇を防ぐための職種転換であることなど極めて重大かつ基礎的な事実の説明が全金支部の要求にもかかわらず全くなされていないことは明らかであり、本件に関する団体交渉が拒否されたことも岡崎証言によって明らかである。本件一連の異動に関する「基本的内容」が被上告人の第一審における昭和六〇年一月二二日付準備書面によって初めて明らかにされたことは弁論の全趣旨より明々白々である(詳細は第一審原告ら最終準備書面29~36頁)。本件において重要なことは、抽象的な説明の有無や形式的な説明会の開催の有無ではなく、実質的な、中味(ママ)のある、具体的な説明の有無である。

かかる観点からすれば、右の如き明白な証拠を無視して事前に基本的内容を示したとか、説明や団交を行ったとの認定は、明らかに採証法則に反し、この点が信義則違反及び権利濫用の判断にあたって判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第六点 原判決には民法一条三項の解釈を誤った違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

一 原判決は、配転命令権濫用の判断にあたり、明らかに東亜ペイント最高裁判決の枠組みに則っており、「企業の合理的運営に寄与する」場合には業務上の必要性が存在し、本件一連の異動は「経営上必要な措置」であって業務上の必要性が存在したと判示する。

しかし、「企業の合理的運営に寄与する」か否かの判断は客観的になされなければならず、ただ単に「運営上必要」であったなどとして企業の措置を無限定、無批判に認容するものであってはならないことは明らかであって、東亜ペイント事件においても最高裁は、<1>労働力の適正配置、<2>業務の能率増進、<3>労働者の能力開発、<4>勤務意欲の高揚、<5>業務運営の円滑化の五つの指標を掲げている。本件配転が、長年培った熟練を「満足に生かせない」ばかりか、それを無にして中高年令者を従前よりも「身体的にも厳しい」(原判決二三丁表)仕事に就かせるものであることは原判決も認定するところであって、右<1>~<4>に該当しないばかりか右四点からはむしろ「企業の合理的運営に寄与」しないことが明らかである。また、<5>についても、不況対策との主張も認定もなく、かえって、「本件は解雇回避のための措置である」との被上告人の主張を排斥しているのであるから業務運営の円滑化にも該当しないか、仮に該当するとしても「村山工場の生産体制の平均化を図る」(原判決一六丁裏)との点で認めうるにすぎず、その程度は極めて低いといわざるをえない。

二 次に、原判決は、いわゆる人選の合理性、換言すれば、特定の労働者と業務との間の適正な配置について、残留する機械工との入れ替えは「相当の手数がかかるうえ、人員比等からみて公平で不満を残さない人選を行なうことは容易ではない」から、「四九五名全員について、各人の経験、経歴、技能や個人的希望を個別的に考慮することなく、いわば機械的にマーチ製造部門に異動させ」たことは「企業経営上の判断としてあながち不合理なものとはいいがたく」、「労働力配置の効率化(労働力の適正配置ではない)及び企業運営の円滑化等の見地からやむを得ない措置」であったと判示する(原判決一八丁表~二〇丁表、二二丁)。

しかし、まず、本件各配転が基本的にマーチ部門への異動でなく、従って、判示は前提を大きく欠くことは前記第四点で述べた通りである。また、前記<1>~<4>の観点からは、各人の経験、経歴、技能や個人的希望を考慮することこそ求められるのであり、そうしてこそ労働力配置の効率化、即ち、結果として企業利益の達成、従来どおりの労務提供の受領(山本吉人「労働契約の変動と消滅」(本多淳亮還暦記念・「労働契約の研究」)二二〇頁参照)が図りうるのである。

更に、第三点で詳述したように信義則上の高度の配慮義務が要請される本件において、相当の手数とか人選の困難を理由として個別的事情の考慮を一切排除することは到底許されないことである。

三 本件配転によって、上告人らは、長年培った熟練の喪失とそれによる機械工としてのほこりの剥奪、身体的にも厳しい重筋労働による健康被害、労働環境の悪化、賃金の低下、職場の人間関係の崩壊など種々の重大な不利益を受けている(詳細は第一審原告ら最終準備書面36~44頁、甲九二~九七号証、原審における相川本人尋問の結果参照)。

四 権利濫用の判断は、前記一~三を総合して業務上の必要性の有無・程度(本件ではほとんどないか極めて低い)、人選の合理性の有無・程度(本件では全くない)、労働者の不利益の有無・程度(本件では重大な不利益がある)を比較衡量して判断されなければならない。

しかるに、原判決は、業務上の必要性の存否と通常受忍すべき程度を著しく超えを不利益の存否を個別独立に判断し、前者は存在し、後者は存在しないとして権利濫用には当たらないと判示している。右判示は明らかに民法一条三項の解釈を誤った違法があるから、破棄を免れない。

おわりに

本件で問われているのは人間の尊重(憲法一三条、労基法一条・二条)を優先するか、企業の利益を優先するかの点である。

高度成長期以来、企業の利益を優先するあまりにいびつな日本的労使関係が形成され、その結果今日、貿易摩擦、異常な円高、円高不況、産業の空洞化を招来し、日本は国際的に孤立を深めていることは公知の事実である。かかる事態において、更に企業優先の姿勢を保つとすれば、日本の国際社会における孤立に拍車をかけ、司法の権威と司法に対する国民の信頼を深く傷つけることになろう。

以上

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